
2025年2月18日号 (通算24-47号)
農業経営レポート
“Seek out innovators”Ⅴ
~今まで不可能と言われた「網走」でのコメの生産!~を掲載します。
筆者の梶山氏は元農水省職員。現在は、千葉県で一般社団法人フードロスゼロシステムズ代表理事、行政書士として活躍中。なお、この文章は、筆者個人の見解であり当財団の公式見解ではありません。 それでは、ここからレポートになります。

レポート:梶山正信
Ⅰ はじめに
2022年、北海道で先駆的に水無し乾田直播にチャレンジしている共和町の合同会社ぴかいちファームの農業経営者の山本耕拓(やまもと たかひろ)さんを取材した。このチャレンジを山本さんが行ったのは、網走市において畑地でのコメの生産に2018年から取り組んでいる福田稔(ふくだ みのる)さんの存在があったからだという。
そこで、今回は原点とも言える網走市の福田さんのもとを訪ね、その取り組みの経緯や思いの丈を伺った。福田さんは自分自身の農業経営において、本当にやりたいことは何なのか?と疑問を持ったという。そのきっかけとなったのは、当時福田さんが網走青年会議所の役員だったことが大きい。上部団体の網走青年団体連合会の農業以外のメンバーと交流する中で、多様な刺激を受けたからだったという。
それまでの福田さんは、農産物を作ることが専業。それは収益をあげる手段だと気づいたのだ。加工原料となる作物では、農産物の作られる過程やその意味を伝えることもできなければ、感想を受け取ることもできないのだ。そこで、今作っている農産物では無理でも、コメならそれができるのではないかと考え「網走で生産したコメを、地元の全ての子供たちに食べてもらう!」ことを目標に、網走では全く行われてなかったコメの生産を2018年から自ら一人で、しかも手探りで始めたのだった。
福田さんが畑地でたわわに実ったななつぼしを見ながら、一言一言、思いを込めてお話されると、私自身自分の志の大切さに改めて気付かされる取材となった。

Ⅱ 福田さんのコメの生産の取組について
1.福田農場の概要とコメの生産の経過
福田農場の営農を遡ろう。この地のほとんどが本州からの入植で始まるが、福田さんも同じだ。しかし、福田さんの名刺には大きく“3代目”と記されている。現在の場所での営農は曾祖父が養子に入ったころからだそうだ。それゆえの“3代目”なのだ。
福田さんは1981年6月生まれ。2002年に北海道立農業大学校を卒業後、生家の農業経営に従事した。現在の経営は、麦類(13ha)、ビート(13ha)、でんぷん芋(13ha)、ゴボウ(0.5ha)、コメ(1.2ha)等の合計約42haを輪作で作付けしている。作業は、福田さん夫婦と両親の4人でやっているが、繁忙期の9~11月は特定技能で就業している2名の従業員を加えて行っている。
~コメの生産の経過について時系列まとめ~
①2018年
コメ農家との伝手、接点がなかったことから、ネット販売で茨城県のもち米品種種子を入手。畑の一角、2列(0.5m×2m)の極小面積で初めて作付け。出穂はしたものの不稔で実は入らなかった。
②2019年
陸稲のうるち米品種を同様に作付け。モミはついたものの、不稔で実は入らず収穫には至らなかった。
③2020年
これまでの取り組みでの経験から耐寒性の高い品種である「ななつぼし」に変更を検討。折よく農協から20㎏の種子を購入することができた。2018年から使い始めた菌根菌(マイコス)、ビール酵母を使い、乾田ドリル播きで7aほどの作付けを行った。これが功を奏したのか初めてコメの生産に成功。しかし、コンバインもないので手刈りしたものの、作業が追い付かず、手刈りができない大部分をそのまますき込んでしまうことになった。
④2021年
青年会議所の委員長に就任したことを契機に、プロジェクト事業として本格的に取り組む決心を固めた。今まで網走では不可能だったコメを作って子供たちに食べさせるプロジェクトを円滑に進めるために、従来から資材利用で付き合いのあるビール酵母資材の製造元であるアサヒバイオサイクル(株)に相談し、協力を得ることができた。この事業にはアサヒバイオサイクルも積極姿勢を見せ、技術的な支援やプレスリリースなど側面支援をも受けることができた。
その結果もあり、2021年には広さ9aのほ場で本格的に生産することができた。もっとも、コメに適したコンバインがまだなく苦労することになった。しかし、少量といえども初収穫だ。子供たちと一緒に水田のななつぼしとの食べ比べの企画も実施できたのだった。
⑤2022年
17aに作付け面積を拡大。さらに中古の自脱型コンバインを購入。ついには、畑地にも関わらず1,290㎏の「ななつぼし」のモミを収穫することができた。しかしながら、コメの乾燥施設がなかったため、収穫後のコメにカビが発生し、残念ながらそれを全て廃棄することになってしまった。
⑥2023年
前年の苦い経験を活かし、コメ用の乾燥機も昨年の自脱式コンバインに加え購入。設備としては、立派な「稲作農家」となった。そして、面積をさらに増やし、22aの畑地で栽培を実施。収穫後の「ななつぼし」は14.5%の水分量に乾燥させ、1,330kgのモミ付きのコメを生産することができた。以前から依頼のあった飲食店に400kg弱の「おコメ」をついに販売できたのだった。
⑦2024年
栽培品種は「ななつぼし」を昨年に引き続き選定。作付け面積を1.2haと、一気に前年の約5倍もの面積に広げた。取材後の10月13、14日に収穫予定だが、この状況であれば5トン程度の収穫は見込めるだろうとのことであった。
福田さんのこれまでの長い取り組みの経過を列記してきたが、栽培のきっかけとなったのは2018年に麦類の生産において、初めて菌根菌(マイコス)やビール酵母を利用したことにある。これらの資材は麦や芋類の種子等に良い影響があるとは聞いていたが、ひょっとするとコメにも良い影響があるかも、という程度の気持ちだったという。
2018年から畑地でのコメの生産の取り組みを始め、失敗しながらも毎年改善をしてチャレンジをし、年々面積を広げ、個人で必要な機械を中古で揃えながら、ということを重ねてきたのだ。本当に地道に取り組んできたことを今回の取材で私は初めて知ったのだった。
だが、私の本心から言えば、このように、数字としての経営では全く儲からないようなコメ作りにここまで取り組んでこられたのは、やはり「網走で生産したコメを、地元の全ての子供たちに食べてもらう!」という目標の強い意志、つまり揺るぎないその志があるからだと思えた。福田さんから直接話を聞いていても、正直、それ以外考えられなかったのだ。


今年の福田農場1.2haの畑地でのコメの生育状況写真:写真筆者
2.その志はどこから来るのか?
私が福田さんの姿勢に強く惹かれたのは、共和町の山本さんやアサヒバイオサイクルの上籔氏からの話だけではない。
2023年に生産したななつぼしを購入した飲食店店主の伊藤勇太さんからもお話を伺った。福田さんと伊藤さんは網走青年会議所での仲間同士だ。福田さんがコメ栽培にチャレンジしても、全く成功しない、生産できないことを伊藤さんは知っていたのだ。それにもかかわらず、伊藤さんはコメが生産できたら絶対に自分の店で出すので売って欲しいという話をしていたのだった。料理のプロである伊藤さんもコメに挑戦する福田さんの志に強く共感を覚えたのだ(伊藤さんは、2023年12月に菜ご海(なごみ)という飲食店を網走駅前に開店)。
私も今回、絶対に福田さんのななつぼしを食べて帰らないと取材に来た意味がないと考えていた。取材初日の夜に菜ご海を訪問し、土鍋ご飯を注文した。ちゃんと適した炊き方をすれば、畑地でも水田で生産されたななつぼしと遜色ない食味だと感じた。


土鍋炊きのななつぼし:写真筆者
2023年の収穫後、乾燥調整した1,330kgのお米のうち約400kgを伊藤さんの菜ご海(なごみ)に販売した。私は、経営論からするとまずそこの出口戦略の構築が一番にあるべきだと話したが、福田さんは意識はしていると言うものの、やはり一番はコメの販売ではなく自分の志だと言う。つまりそれは、網走市全ての学校給食でコメを供給することなのだ。そのためには年間26トンが必要だそうだ。福田さん一人では無理かもしれないが、それに向かってこれからも全力でコメに取り組む意志を強く感じた。
2023年度、福田さんが網走市内の学校給食に提供したのは、スポットでの70kg程度だけだったが、目標は網走市内全ての学校給食へのコメの供給である。2024年産が5トン程度の収穫見込とのことであるが、飲食店等からの引き合いが3トンほどになる。しかし、それは福田さん自身の本当の目標ではない。バリューチェーンを構築しつつ、必要となる年間26トンの全ての網走市内の学校給食へのコメの供給を目指している。この網走の地では困難な収穫や乾燥施設の増強の戦略をも考えているのだ。過去に青年会議所の委員長も務めたことから、地元関係者の信頼も厚く、地元農協とも協議を行っているようだ。何しろこのイノベーションに現状では制度が追い付いてないのが実態なのだ。これから新しくルールを作り、各種制度を確立していく中で、福田さんの取り組みが本当に達成されることを、私も強く望みたい。
この1.2haの作付け地の横には、「NPOじっとく」という子供の活動をサポートする団体の取り組みで、子供たちが自分たちで種まきした、ななつぼしや大豆、サツマイモ等が植えられていた。これが福田さんの言っている農産物が直接消費者につながる取り組みであり、それを子供たちが実際につながっているということだ。今ここですでに実現できていることが本当に素晴らしいと感じた。


3.将来の自分の農業経営はどのようにしたいのか
福田さんは、今後、福田農場を株式会社化する計画があるという(※取材当時。現在は、法人化されている)。そしてコメの面積は近隣のやる気のある農家とともに徐々には拡大する予定ではあるものの、自分自身の耕作面積を積極的に拡大する意向はないという。規模拡大すれば、それだけ人材確保等に自分のリソースが削がれる。それにより自分のやりたいこと、目標への道が遠くなると考えているのだ。自分の農業への取り組みに対して、単純な規模拡大は本末転倒だと意識されていると感じた。
現状では、積極的な規模拡大の意向はないものの、共和町の山本さんのところも、あるいは日本全体の課題として、高齢化等での離農が徐々に進んでいる。福田さんは農業委員会の委員という立場からも、地域での役割は果たさなければならないと話していた。自分の経営全体としての戦略と整合のないまま規模拡大を行うと、過剰な投資で自分の経営の首を絞めることにもなりかねない。トータルでの営農の全体戦略を構築した上での農業経営を自分の志とともに両立させる、いわゆる経営学でいわれる「両利きの経営」のセンスがこれからの農業では求められると強く感じた。
福田さんには、これまでの長い苦難の取り組みを失敗しても諦めず、地道に重ねてきたことをベースに「網走で生産したコメを、地元の全ての子供たちに食べてもらう!」という志がある。これからも福田さんのモチベーションを鼓舞していくだろう。そして、まわりの多くの人がそれに共感して新たなチャレンジに果敢に取り組んでいるのを見ると、福田さんの志は本当に凄いと感じ入ってしまう。北海道のチャレンジ精神旺盛な人がたくさんいる中でも、特に稀有な存在ではないかと感じた。
なお、冒頭で網走青年会議所の委員長時代に、交流する多くのメンバーから農業以外での多様な視点での刺激を受けたと書いたが、現在は網走ライオンズクラブにも入って、積極的に農業以外の経営者と交流を持っているという。
今後の目標に対するロードマップ、つまりどのように次の戦略を考えているかを確認したところ、福田さんの成功を見て、近隣の若手農業経営者が畑地でのコメの生産に取り組む意欲のある人が出てきているという。そのためには、自前の乾燥施設が現在の生産レベルで既に限界になっていることから、それを地域で解決し、地域における集団での生産も視野に入るであろう。年間26トンのコメの生産も将来的には可能になると私は考える。
勿論、それは数年のうちに必ずできるとは思わない。しかし、共和町の山本さんもそうだが、福田さんもまだ40代である。そう遠い未来の話ではなく「網走で生産したコメを、地元の全ての子供たちに食べてもらう!」という目標をきっと達成するであろうと強く感じて、今回の福田農場への取材を終えた。
Ⅲ あとがき
今回、福田農場にお邪魔したのは、2022年から北海道で先駆的に水無し乾田直播にチャレンジしている共和町の山本さんを取材したことがきっかけである。それは「あの網走で、福田さんが畑地でのコメの生産に成功したと聞いて、水田でコメを作る自分たちは、今すぐにとにかくチャレンジしないと大変なことになる!」という猛烈な危機感を取材で聞いたからだ。
私も、福田さんから現場でじっくり話を聞き、改めて自分が起業するに当たっての志に気付かされた取材だったと最初に書いた。これからも決してそのことを忘れることなく、チャレンジする農業経営者とともに、仕事ではなく『志事』として経営戦略をベースに、これからも農業の現場に『志』を持って立ち続けるつもりである。
梶山正信
一般社団法人フードロスゼロシステムズ代表理事(特定行政書士)
筆者プロフィール
1961年生まれ
2021年まで農林水産省に勤め、現在は一般社団法人フードロスゼロシステムズ代表理事、特定行政書士として活躍中
2023年からは、早稲田大学招聘研究員として、カーボンニュートラル、地域活性化等を学んでいる