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WEB版HALだより「テキスト版」

2023年6月6日号(通算23-7号)

~短期集中レポート~ “農業で学ぶ” 小学校における「農業科」教育の道を拓く挑戦(4)

磯田 憲 一

 中村桂子さんは、「人間は生きものであり、自然の一部」という事実を基本に、生命論的世界観を持つ知として「生命誌」を構想し、1993年「JT生命誌研究館」を創設しました。

 私が「中村桂子」さんを知る契機となったのは、2006年から18年間にわたり取り組んできた「君の椅子プロジェクト」がつなぐ縁でした。

 出会いは、2011年3月に発生した「東日本大震災」の際、震災当日に被災3県で誕生した98人の「新しい生命」に、「生まれてくれてありがとう」の思いを込めて「希望の君の椅子」を贈呈したことに遡ります。98の「新しい生命」が産声を上げた時の状況や思いを綴った手記「3・11に生まれた君へ」(北海道新聞社など4社共同)を出版した際、毎日新聞紙上でその書評を書いてくださったのが中村桂子さんなのでした。

 生命科学者である中村桂子さんは、かつて、経済界の指導的人物が、「小さな頃から経済社会の動きを学ばせることが必要だ」として、そのための「情報技術教育は、できるだけ早く、小学校低学年から行うべき」との論陣を張ったことに対し、日本経済新聞紙上で、「子どもたちは、“株”を勉強するより、大地に育つ“カブ”から学ぶことの方が大切」と反論しました。中村さんのその至言に共感・共鳴した当時の白井英男喜多方市長が、中村さんの思いの具体化として、小学校に「農業科」を組み入れることを決断、2006年に実現したのです。

 12年前、美唄市教育長であった現美唄市長の板東知文さんが、喜多方市のその先駆性に学び、「美唄市農業体験副読本」を制作したのは前述したとおりです。

 そうした10数年前の経緯がある中で、私が「アルテピアッツァ美唄30年を機に、中村桂子さんを招くことにした」と板東市長に伝えると、板東市長は大変驚いた様子で、「磯田さんは、どうして中村桂子さんのような“ビッグ”を知っていたのですが?」と質問されました。私は、むしろその問いに驚き、「板東さんこそ、何故中村桂子さんを知っているのですか?」と逆質問したのです。そのやり取りが端緒となり、その時点では想像することもなかった「美唄市小学校“農業科”教育」の仕組みづくりがスタートすることになるのです。

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