HAL財団

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北を愛づる イソケンコラム ”時の情景”を旅する

このコラムは、HAL財団理事長磯田憲一が日々感じたこと、今までの仕事や人、地域との出会いから感じたことを書き記すコラムです。朝日新聞北海道版に、月1回連載している「北を愛づる 時の情景」に加筆修正して掲載するほか、書き留めたものも随時お届けします。

2025年6月10日号
通算25-1号

再生への希望の灯~大雪よ~

あまり知られた曲ではないが、新沼謙治さんの歌う「大雪よ」(阿部佳織 作詞・作曲)に心を寄せて久しい。北の大地の秘める価値の一つが胸に染み入るように伝わってくる。
道北の中核都市・旭川で、先輩が自ら歌って聞かせてくれたのがこの曲との初めての出逢いだから、もう25年以上も前のことになる。その後、新沼謙治さん自身が歌う「大雪よ」を耳にして、その爽やかな曲調に改めて心震えたが、最初に心惹かれたのは、むしろ歌詞の方だった。
“追いかけた夢が壊れてしまったら「君」に会いにゆこう…”
夢が壊れてしまうことは誰もが体験することだ。その時、人は沈む心を抱えて旅に出る
として、旅の先に在る「君」が静かにほほ笑みながら“時の流れるままにまかせよ”と語りかけてくれるというのだ。
「君」は、言うまでもなく北海道の中央部に広がる大雪の山並み…。はるか遠くの君だが、いつだって“心の友”だという。
歌詞はこう始まる。“ちっぽけな自分にため息こぼれたら君に会いにゆこう…”
小さな自分にため息つくことも人生には幾度かあるだろう。そんな思いに胸沈む時、万年雪の大雪は“疲れた体投げ出し眠れよ”と静かにささやいてくれる。
人生は順風満帆の時ばかりではない。だからこそ、切なく心揺れる折々に、さりげなくそっと寄り添ってくれるものの存在は、人生にとって格別に大切なものだろう。
いわゆる“ご当地ソング”には、その地の“風光明媚”が溢れているが、「大雪よ」の曲想は、その対極にあり、深く心に残る調べだった。
先輩が歌う「大雪よ」は、ほとんど原型をとどめないものであったことを後日知ること
になるが、それでも感謝しかない。「大雪よ」が、地域の価値を計るもう一つの物差しを教えてくれたのだから…。
生涯、旭川を離れることのなかった作家・三浦綾子さんは、朝な夕な「大雪」を見続けてきたという。「60年ここにいて、大雪山を見て声を上げなかったことがあるだろうか」と、その愛しさを述懐している。生きることに思い悩む時、そっと寄り添ってくれるものの存在は、三浦さんならずとも、かけがえのないものだ。
北に生を受けた私は、ほぼすべての時を、この大地に包まれて生きてきたが、その道すがら、時折胸に湧く思いは「人生につまずき傷ついた時、人は北を目指して旅に出る」に違いないということだった。この「北」は、再び歩き出そうとする者を支え、多様な生き方に寄り添う優しさに満ちている。それは、再生への希望の灯と言えないか。
「大雪よ」は、この北が秘める懐の深さと温もりを教えてくれる。中央から遠い北の国は、経済的には一周遅れのランナーかもしれない。しかし、価値軸が大きく変わりつつある今、この大地は、時代に遅れてきたがゆえに次代の先頭ランナーたり得る潜在力を有しているのではないか。
私の道行きは、もはや夕暮れ迫る頃合いだが、今少し、この北が積み重ねてきた“時の情景”を訪ねる旅を続けてみることにしたい。

※2024年6月7日付朝日新聞より加筆修正 

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