2025年10月3日号
通算25-04号
《WorldSkills Lyon2024》 「技能五輪 フランス・リヨン」
~リヨンの空の下で思い巡らせたこと~①
◆フランスで3つの五輪〜パリ、パラ、そして技能
昨年(2024年)、フランスで三つの五輪(オリンピック)が開催された。首都パリで開かれた「パリ五輪」、そして「パラリンピック」。この2つの五輪は、年齢、立場を越えて、日本人のほとんどが、感動のシーンを目に焼き付けたに違いない。日本女子初となるフィールド種目で金メダリストとなった「やり投げ」北口榛花選手やパラリンピックの「車いすテニス」で史上最年少の金メダリストとなった小田凱人(ときと)選手などの活躍を記憶している人も多いだろう。
この2つの五輪に加え、3つ目の五輪がフランス・リヨンで開催されていたことはほとんど知られていない。10月10日〜15日に開かれた「技能五輪・リヨン(WorldSkills Lyon 2024)」である。
パリ五輪やパラリンピックをめぐる映像や記事は、日本中にくまなく報道され、多くの人が感動をともにしたが、「技能五輪」に対するテレビ、新聞などのメディアの関心は低く、パリ五輪、パラリンピックの閉幕後に「技能五輪」が開幕されていたことなど知る由もないというのが大方の実感だろう。
◆日本代表を送り出した匠工芸・桑原会長とともにリヨンへ
「技能五輪」は、職業訓練の振興と技能水準の向上を目ざして、1950年にスペイン、ポルトガルが参加して始まり、1962年から日本も参加、現在は2年ごとに開催されている。
第47回を迎えた昨年(2024年)の技能五輪リヨン大会には、北海道東神楽町に所在する「(株)匠工芸」の家具職人・渡部礼嗣さんが、「家具」部門の日本代表として出場した。同社会長の桑原義彦さんは、1967年スペインマドリードで開催された大会に「家具」部門の日本代表として参加、見事銀メダルに輝いた。帰国した桑原さんを待ち受けていたのは、旭川の目抜き通りを行く凱旋パレード。市民が歓呼して迎えてくれたという。旭川では、北口榛花選手の盛大な優勝パレードが行われたが、当時も同じような熱気に包まれていたのだろう。以来、世界各地で開かれる技能五輪には、北海道の若者も幾度か日本代表として出場しているが、桑原さんを超えるメダリストは未だ誕生していない。
桑原さんの快挙から半世紀を経た昨年(2024年)、桑原さんのもとで技量を磨く家具職人が、日本代表として「リヨン大会」に出場することになった。家具産業の発展と職人の育成に情熱を傾けてきた桑原さんにとっては、言葉に尽くせない喜びの出来事だったに違いない。人として、産業人としての桑原さんの包容力と人格に深く敬愛の念を持ち、また、(公財) 北海道文化財団に創設した「人づくり一本木基金」の運営に関わる者として、桑原さんの喜びのリヨン行きに同行させていただいた。
「技能五輪」に対する予備知識はほとんどなく、全くの門外漢!としての同行だったが、アマチュアであるが故の素朴な感覚で、技能五輪をめぐる日本の「今」を見つめる機会となった。地域づくり、人づくり、ものづくり、の一端に関わる者として、予想もしない、かけがえのない体験であった。
衝撃的だったのは、「パリ五輪」が見せてくれたエネルギーに劣ることなく、59に及ぶ職種の技を競う壮大な世界がリヨンの空の下に広がっていたことだ。
競技は、日本選手55人含め、世界60の国・地域から1300人を超える選手が参加。10月10日夜に開かれた「開会式」は、競技開始の鐘をリヨンの空に打ち響かせる華麗なもので、式典にはマクロン大統領も出席。各国を代表する優れた技能職人に対する敬愛の念に満ちており、技能労働者の世界祭典にふさわしい規模と演出に目を見張るばかりだった。
パリ五輪やパラリンピックと何ら違わない世界がリヨンで展開されているとは…想像もしないことだった。日本の報道は皆無に近いのだから、ほとんどの日本人は、その実相を知る術もないが、「ものづくり日本」を標榜する国がこれでいいのか…という思いが胸をよぎる10日間となった。
種目ごとの課題は、競技開始の当日、もしくは前日に示されると聞いた。その課題(図面)を読み込み、技を競い合う若者たちのひたむきな眼差しは、「スポーツ五輪」に何ら遜色のないスピリットにあふれている。この若者たちこそ、日々の精進と切磋琢磨を通して日本の、世界の“ものづくり”を担い、暮らしのクオリティを高めていく“未来たち”そのものなのだ。

開会式での日本選手団(LDLCアリーナ)

家具製造競技の渡部選手
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