2025年12月4日号
通算25-06号
デイ・ライト走行は光の対話
かつての北海道は、交通事故死者数が毎年500人を超え、その数を愛知県と競う時期があった。近年は格段に減少したが、一つ一つの生命が奪われた悲しみは限りなく深い。
最近、幼い生命を巻き込む事故が多く、以前も旭川近くの町道で2歳児が犠牲となった。同じ町道を走ることが多いという人が、その事故について新聞読書欄に投稿している。
「(市街地での)スピードダウンはもちろんだが、(日中も点灯する)“デイ・ライト走行”を欠かすことはない。車を視認しやすいデイ・ライトは交通安全に有効。今回の悲劇も、デイ・ライトが社会に定着していたら防げていたかもしれない。デイ・ライトが当たり前になるよう関係機関はもっと啓発に努めてほしい」
警察などが、“デイ・ライト走行”に取り組み始めたのは2002年だが、ルーツは90年代函館地域でスタートした“点灯虫作戦”にあると思う。
かつて函館の渡島支庁(現・渡島総合振興局)に転勤し出会うことになった「交通安全運動」は、毎年同じことの繰り返しで、“型通り”のイメージが定着していた。新たな切り口を模索する中で着想したのが“点灯虫作戦”。「日中もライトを」という“非日常”の提案だったが、新たな装置も要らず、「今日も一日、加害者にも被害者にもならない」との願いを込めてスイッチをひねる、というシンプルな呼びかけが共感を呼び、瞬く間に全道に広がった。
“作戦”を提案した時「面倒な・・・」と顔をしかめたのは、運送業界に再就職していた警察OBだった。結局は協力いただき、全道展開になったのを見届けて、私は札幌に転勤となった。その際、そのOBを訪ね感謝の思いで頭を下げた。その時のOBの言葉が今も心に残る。「頭を上げてほしい。あの時、あなたの熱心さに仕方なく応じたが、後になって気付いたのは、事故が起きて困るのは、あなたではなく私だった」
あれから30数年、“型通り”の交通安全運動を乗り越えようとスタートした「点灯虫」は、後年、警察も推奨する「デイ・ライト走行」への道を切り開くことになった。「デイ・ライト」は視認性で語られるが、「点灯虫」の神髄は“安全を願う心の灯を点す”ことにある。その明かりは、行き交うドライバー相互の対話、そして歩行者も含めた安全を願う者同士の“光の対話”なのだ。
だとすれば、その広がりは、この地に暮らす人々の“祈り”にも似た北海道ならではの“北の情景”と言えないか。視認性に加え、安全を願う“心”を「デイ・ライト」に託し、光の対話がこの地に広がることを改めて願うばかりだ。
※朝日新聞より加筆修正 