「農業科」への思い
「想定外」は“上から目線”~中村桂子さんの言葉に学ぶ、“人間の在りよう”
JT生命誌研究館名誉館長の中村桂子さんは、生きものの歴史と関係を読み解き、誌(しる)す「生命誌」の世界を切り開いた方です。東日本大震災時、科学者がもらした「想定外」という言葉に、「上から目線」を感じて強い違和感を覚えたと語っています。
「自然の力や大きさは科学者といえども想定できるものではありません。自然の中にいる人間が、自然と向き合わずにきた結果、地球環境をめぐるひずみが生じているのです」と中村さんは述べられ、そうした課題に向き合い、近代文明を問い直すためには、「人間は生きものであり、自然の一部という基本に立ち返るほかありません」と語られています。
その中村さんとご縁をいただき、2022年8月に美唄市で「いのち愛(め)づる生命誌講座」を開催し、「あなたが生きものであることを学ぶ農業」について熱く語っていただきました。
その講演の準備の過程で、福島県喜多方市が中村さんの提言を受け止め、2007年に全国で初めて小学校教育に「農業科」を組み込んでいたことを知りました。また、美唄市も喜多方市に学び、2012年から「農業体験」学習に取り組み、「農業体験副読本」を作成していたことも知りました。
そうした中、講演を前にした中村さんから貴重な助言をいただきました。「農業体験は今や当たり前になっていますが、あくまで“体験”の域にとどまっています。小学校の時間割に国語や算数と同じように“農業科”が入っていることが大事で、その継続が子どもたちの生きる力を育むのです」。中村さんの確信に満ちた言葉が深く胸に響きました。
その助言から9カ月後の2023年春、美唄市はHAL財団とも連携し、小学校での「農業科」授業をスタートさせました。中村さんによれば、喜多方市が農業科を始めた当時、多くの自治体が視察に訪れ、「わがまちでも」と語っていたそうです。しかし、実際に続く自治体はなく、15年の歳月が流れました。美唄市は中村さんの思いに応えるかたちで、それまでの「農業体験」を「農業科」に、「農業体験副読本」を「農業科読本」へと進化させ、全国で2例目となる先駆的な自治体となりました。
「農業科」は大切な社会的装置~地球に生きる上での“謙虚さ”を培う
中村さんは、“農業で学ぶ”ことの意義を次のように語られます。「農業科は、自ら作物を育て自立の力を養うと同時に、全ての生きものが仲間であり、みんなで支え合いながら生きていく大切さを学ぶ楽しい時間です」。
中村さんは、喜多方市が農業科を始める前から“小学校で農業を必須に”と提唱されてきましたが、地球環境の今を思う時、「農業科」は、地球に生きる上での謙虚さや、同じ生きものに向けた優しいまなざしを身につける大切な社会的装置と言えます。
小学校「農業科」教育イニシアティブの設立 ~“次なる百年の計”として
その意義を胸に、2024年、HAL財団内に農業科を広げていくための組織「小学校“農業科”教育イニシアティブ」を立ち上げました。“農業科”を小学校教育に組み込むことを目指すチームの設立は、日本初であるに違いありません。中村さんも共同代表として参加してくださいました。はるかな道のりですが、「次なる“百年の計”」と信じて、私たちは前を向いて歩みを進めてまいります。
一般財団法人 HAL財団 理事長
小学校“農業科”教育イニシアティブ代表
磯 田 憲 一

2024.5札幌市立福住小学校